千里の道も一歩から
桜の花も咲き始め、そろそろ満開かなという季節となりました。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
昨年の社員研修旅行のとき以来のブログの当番が回ってきました。
さぁ、今回は何を書こうかなぁと、考え始めて早、1週間・・・・
週末、月末、年度末と重なり、慌ただしい中で、
どうしよう・・・どうしよう・・・・と時間だけが流れていき、
会社のホームページのトップ画面を腕組みしながら眺めて、さて何を書こうか・・・・
学生の頃から、勉強をしようとすると他の事が気になって、掃除を始めたり、漫画を読みだしたりと、ついつい違う事に気が行ってしまいます。
大人になってもそれは変わらず・・・・
ついつい、そのままパソコンで調べ物をしてしまったりして。
こんな画面を見ていると、
「日本橋ってライトアップなんてしてるんだなぁ」と
「日本橋っていつからあるんだろう」と
ついつい気になって、ブログそっちのけで調べだしてしまったりしますよね?
ん?しません?しますよね?
いや、するでしょう?
しないなら、しますよっ!
俺がっ!
さぁ、まず、日本橋ですが・・・の前に、当社のホームページのトップ画が日本橋の夜景だという事は
皆さんご存知でしたでしょうか?
道には始まりと終わりがありますが、始まりと言えば日本橋。
「道の始まりに立つ」「ここから始まります」という意味を込めてこの画を
当社のホームページのトップにもってきました!
嘘です。
それっぽく言いましたが、今、勝手に私が作りました。
さて、本題(?)の日本橋ですが、いつからあるかご存知でしたか?
実は、慶長8年の3月3日に徳川家康の全国道路網整備計画に際し、初代の橋が架けられたそうです。
慶長っていつやねん!って方のために西暦でいうと
1603年の事で、今の暦で4月の14日の事だそうです。
当時はもちろん木製の橋で、当時を再現した原寸大の橋が江戸東京博物館で見れるそうです。
橋梁設置の翌年には五街道の基点となり、以降、江戸の中で最も賑わう場所として、
浮世絵による風景画に描かれることが多くなったそうです。
1604年にはすでに道の始まりになっていたんですね。勉強になりますね。
天下分け目の関ケ原の合戦が1600年の10月で、その3年後にはできていた日本橋。
家康さんの計画の良さ、そして実行の速さは素晴らしいですね!
更に紐解くと、家康さんが征夷大将軍になったのが1603年の3月24日!
なんと!征夷大将軍就任の3週間後には日本橋が今の場所、今の名前で誕生していたんですね。
流石です。
こうなってくると、家康さんをもっと調べたくなるのですが、取り留めも無くなるので
日本橋へ話を戻します。
ホームページの写真にあります、現在の橋は1911年に完成した19代目(諸説あり)
だそうですが、江戸時代は当然に木造の橋ですので明暦の大火(1657年)等、
明治維新までに10回程、焼失しているそうです。
江戸時代の地図
中央の下の方が日本橋
ちなみに日本橋がかかっている川は日本橋川という河川で、飯田橋と水道橋の間辺りで
神田川から分岐して隅田川の河口近くへ注がれる河川なんですが、江戸幕府の治水の苦労も
調べると、とても面白そうな気がします。
1911年に完成した現在の19代目の橋にも注目点は多く、
道路の中央部には「日本国道路元票」なる標が埋め込まれています。
これはもちろんウィキってみると載っている事ですが、
実はこれ、私が数年前に車で通った際にたまたま気が付いて、
後から何だろうと調べたことが有ったので知っていました!(ちょっと自慢)
他にも日本橋と言えば・・・・
麒麟の像
この他にも獅子の像もあります。
この翼の生えた麒麟は東野圭吾さんの小説で取り上げられて有名ですね。
映画ではガッキーかわいかったですねw
それはさておき、ウィキっていると、1945年の3月10日の東京大空襲の際の焼夷弾の跡が
今も残っているとありました。
それを聞くと、本当にいろいろな時代、江戸から東京の現代までを同じ場所でみてきた橋なんだなと
感じますね。
1963年(昭和38年)からは日本橋の上空を首都高速が覆い、現在の姿に。
私を含めて、ほとんどの人は現在の首都高速道路の下の日本橋の姿しか知らないのですが、
日本橋の415年の歴史の中で今の姿は55年程でしかないとい事で、
次の東京オリンピック後に、高速道路を地下化して元の姿を取り戻す事になると、
希少な姿でもあるのかもしれないと思いますね。
因みに、今も残る、東京大空襲の際の焼夷弾の痕は
こんな感じに今もあるそうです。
その位置をグーグルさんのストリートビューで見ると
こんな場所にあります。
知らないと見ても気が付きませんが、知っていると感じるものがありますね。
さらにお馴染みの当社のホームぺージのトップ画でいうと・・・・
ここになります。
そんなこんなで(どんなや?)ここまで何故か日本橋について書いてきましたが、
みーんなウィキペディアに書いてることです。
ごめんなさい。てぬきして・・
でも!「興味を持つこと」、「知ろうとすること」、「学んでみること」、「覚えること」、「感じること」、「考えること」
とても大切だと思います。
皆さんも是非、このブログを機に日本橋の歴史に、徳川家康に、江戸幕府の治水の苦労に、
日本の国道に、首都高の改修工事に、
興味を持って調べてみてはいかがでしょうか。
興味は学びのきっかけで、変化の機会かもしれません。
学んだことは無駄にはならず、いつか役に立つ日が・・・・
来ないとは思いますが、
きっと誰かに話したくなると思います。
そして、そこまで遠くない日に、日本橋の麒麟たちが空を拝むときが来ると思います。
その時には江戸の治水工事のお話をしましょう。
おしまい